羊蹄山
ようていざん
別名:後方羊蹄山、マッカリヌプリ、マチネシリ(雌山)、蝦夷富士
所在地
羊蹄山の名前にまつわる4コマ
私も羊蹄山=羊だと思い込んでいました!
あの独立峰の山にメェ〜!メェ〜!とたくさん居たんだろうな…と…。
また、羊って…意外に可愛くないですよね…大好きなジンギスカン屋「ニセコジンギスカン」に羊のポスターが貼ってあるけれど…牛や山よりずっと怖そうな顔していますよ…。
山名の由来・山名ルーツ
まず、元々この山の名前は「後方羊蹄山」と書いて、「しりべしやま」と読んでいたそうです。
私は
と呼んでいますが、こだわる人には怒られそうですね…実際、、深田久弥の『日本百名山』には「後方羊蹄山(しりべしやま)」と記されているそうです。
「後方羊蹄山」という名前は『日本書紀』に記されていたことが由来と言う説があります。
「後方羊蹄」を「しりべし」と読むのはなぜなのでしょうか?初見でそんな読み方なんてできませんよね。
この漢字にふりがなをふってみると…
後方の漢字で『しりへ』、羊蹄の漢字で『し』と読ませるそうです。
この『し(羊蹄)』は植物の名前で「ギシギシ」というタデ科の多年草。
昔は、これを「シ」と呼んでいたそうです。
なぜ羊蹄って漢字をつけたの?
それ以上は調べてもわかりませんでした…もうさ、日本書紀に後方羊蹄という字で書かれていたんだから後方羊蹄で納得しろってコトですかね?
う〜ん…ぜんぜん名前の由来が解けない山です。
また、羊蹄山の麓を流れる尻別川のシリペツがシリベツになり、近くに尻別岳(しりべつ)という別の山があって間違いやすいので、後方羊蹄という字になったという、今までの時間を全て無にしてくれる説もありました。
どちらにしても何故、「後方羊蹄山」という漢字になったのかは不明です…。
そして「後方羊蹄山」とかいてしりべしやまと読ませる読み方が難解なため、地元の倶知安町が名前の変更を要望。
昭和44年に名称が簡略化され、今の羊蹄山に正式名称された。
まぁ私も「コウホウヨウテイザン」って呼んじゃうよね。
そんなわけで、調べても調べてもはっきりしたことは分からなかったのですが…羊とは全く関係ないことだけがわかった。
登山コース
羊蹄山を登るには4コースがあります。
真狩(まっかり)コース
最も利用者が多いコース。途中、有珠山・洞爺湖・駒ヶ岳まで眺めることが出来ます。
倶知安(比羅夫)コース
真狩コースに次いで利用者が多いコース。明治37年に地元登山会などの有志によって切り開かれました。
喜茂別(きもべつ)コース
沢の崩壊が大きく進んでいるため、は十分注意が必要です。正面に尻別岳の全容を眺めることが出来ます。
京極(きょうごく)コース
登山道として最も古いルート。岩場の崩壊が進んでいるので注意が必要です。
倶知安コースと真狩コースの登山口以外では、水の補給は出来ません。
トイレは倶知安コースと真狩コースの登山口及び避難小屋にしかありません。できるだけ携帯トイレを携行しましょう。
日本アルプス登山ルートガイド様のサイトを参照にさせて頂きました。
アイヌの人々の呼び方のマッカリヌプリとマチネシリ
マッカリヌプリという呼び名の意味
アイヌ語で後ろ(マッ)をまわる(カリ)川(ペッ)の水源があるでマッカリペッ(今ではその川は真狩川と呼ばれる)
アイヌ語で山はヌプリと呼ぶ。
その2つマッカリペッ+ヌプリをくっつけて…マッカリヌプリと呼んでいました。
マッネ・シリという呼び名の意味
近くにそびえる尻別岳をピンネ・シリ(男・山)と呼んだのに対し、その対象でマッネ・シリ(女・山)とも呼んでいました。
普通、男山女山で名前をつけるなら…明らかに姿が良く、高い羊蹄山が男山になる気もするのですが…アイヌは女性を大切にしていたのかしら?
蝦夷富士とも呼ばれる
羊蹄山は、ほかの山との接続は無い、ほぼ完全な円錐形で富士山に似たその姿から蝦夷富士(えぞふじ)とも称され、各地に点在する郷土富士の一つとなっている。
日本にスキーを伝えたレルヒ少佐が、明治45年4月15日、羊蹄山に登りスキーで滑降しています。
バックカントリースキーヤーたちも登る
バックカントリースキーを楽しむために、登って滑る方も多くいるそうですが…もちろん私は登ったことはない!
お向かいにあるニセコグラン・ヒラフスキー場のゲートが開いた時にそのゲレンデの頂上から見るだけの遠い存在。
写真を整理していたら…羊?と思える写真が出てきたが…
やぎだよヤギ。
でも、羊や山羊の目って…瞳が横になっていて…怖い。
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