今回は登山から脱線して、熊にまつわる場所を訪れた時の思い出です。登山をする以上、「熊」の存在はいつも頭にありませんか?私は常にあります。なので、熊による獣害被害記事などがあると…気になって調べてしまいます。
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三毛別羆事件はご存知ですか?
どんな事件だったかは…実際にあった獣害被害、そしてその内容が恐ろしく悲しい為、このブログでその事件内容を描くことはやめます。
もし、この事件をご存じなく、どのような事件だったかを知りたい方は
「三毛別羆事件 ーウィキペディア」をご参照ください。
但しこの記事の内容はかなり悲惨であり、読んでいて気分の悪くなられる方もいらっしゃると思いますので、読まれるにあたってはお気をつけください。
私が2017年の5月に三毛別羆事件復元地に立ち寄ったのは、ダンナとの旅行で旭川空港から利尻島へ移動する途中
と思ったのがキッカケでした。
参考記事:利尻島へ行ってきた(1)
場所は北海道、オロロンラインからちょっとだけ内陸に入ったあたり…
地図で見れば…ほんのチョット、沿岸から離れただけのポイントに思ったのですが…
北海道、なめてた!
東京都と北海道の縮尺は違うぞ!沿岸から三毛別羆事件復元地まで…かなり遠かった…。
まずは国道232号、通称オロロンラインと呼ばれる、北海道の小樽から稚内まで海岸線をひた走る絶景ドライブルートをレンタカーで延々と走っていると…
お!あったあった!目的地の苫前の看板!
左手には日本海、目の前にはでっかい風車が並ぶ気持ちよい道を看板の案内に沿って右折して苫前町に入っていきます。
苫前町に入ると…熊。
コッチにも熊。
あっちにも熊。
まだまだ熊。
こちらは陽気過ぎる熊!!!
そう、苫前町に入って、三毛別羆事件復元地に行くまでの道はベアーロードと名付けられ、至るところに熊の看板が掲げられています。
そして、ベアロードに入ってからも…現地までの距離がなっがい!
舗装された道をカーナビの案内通りに走り、かなりの距離を山方面へ走って行くのです。
道路に掲げられている熊の看板に「羆事件現場まであと何km」と書かれていなければ…
と疑いたくなるような距離を延々と走る。
途中に現れた川は「三毛別川」
こちらの名前の由来はアイヌ語の「サンケ・ペツ」から来ていて、「川下へ流しだす川」を意味するんですって。
あと10km地点まで来ると…看板の熊も本気を出してきた…。
しかし、車でこれだけ走ってもなかなか着かない三毛別エリア…。
当時の開拓者たちは…ここにたどり着くまで大変だったでしょう…。
いくら走ってもキレイに舗装された、道。
復元地は木々に囲まれた鬱蒼とした場所のはず…いつこの安心できる道が終わるのだろうか?
そんな不安を抱えつつ、車は走る。
残り200m地点まで来たぐらいで、舗装路は終わり…砂利道に変わります。
が、山の砂利道に比べたら全然カワイイ砂利道。
車で200mはあっという間。
スグに道は行き止まりになり…そう、ここが三毛別羆事件復元地。
行き止まりで、車を方向変換できるスペースもあります。
こうしてやっとたどり着いた、三毛別羆事件復元地は…携帯の電波は圏外!!
電子機器に慣れきった、私たち…圏外に恐れおおのき…
圏外表示だけでこんなビビっているビビリーが、ほんとよくもまあ、ひとり登山なんてしていますね(^_^;)
まずはあんない図を見ます…。
あんない図を見ると大きい復元地と思うでしょうが、実際は…そうでもない。
あんない図の右手には「本町の開拓にまつわる史実」の看板。
これで距離間想像できます?
看板には大正4年に起こった三毛別ヒグマ事件の内容が書かれていました。
Wikipediaの「三毛別羆事件」は、この内容より凄惨です…、。
また、実際の事件があったのはこの場所ではありません。
実際の現場はここから100mほど上がった場所で、こちらにも石碑が立っているとか。
復元地を見て回る前に、慰霊碑にご冥福をお祈りします。
この三毛別羆事件復元地には当時襲われた家の複製が立てられています。
えっと…正直、ココ以外に見どころはありません。
今にも家に襲いかかろうとしている熊の模型がありますが…
…熊でかすぎない???
実物の私と比べて見ても…クマの模型がデカイ!
しかも…表情、劇怖っ!
こちらの家には入ることができます。
えええっ!当時はこの家で北海道の冬を過ごしたの???
風通し良すぎて…辛かった、寒かっただろうに…。
復元されている囲炉裏も土の上…。
ここで暖を取るは…しんどかったろうな…。
先日見た、BSの三毛別羆事件特集では、この三毛別の開拓者たちは四国あたりから来た方も多かったとか…。
四国から北海道…しかも一度ココまで来たら、二度と四国へ戻れないような彼の地…。
ただでさえ、慣れない北海道。
さらに北海道でも、このような山奥で開拓をした方々の事を想うと感慨深い
この建物なの中にはパンフレットも…苫前にある郷土資料館のパンフレットでした。
私はこの後、郷土資料館にも寄りました。
こちらも機会があれば、記事にしますね。
で…ハチに注意の看板…。
熊だけでなく、昆虫も驚異の対象のエリアなんて…辛い。
季節によってはアブも大量発生しているらしいです。
建物の裏手を見てみると…木々が生い茂ってますね。
熊が出てきそう怖い。
三毛別羆事件の復元地ということで、恐怖スポットのように言われるケースもありますが、実際に来てみると当時の開拓民の苦労を感じられ感慨深いものがありました。
今の自分達が、ここでイチから開拓しろって言われても…できない。
でも当時の人達は頑張った…なぜ頑張らざる負えなかったのか?
その背景を考えると…いろいろと考えさせられますね。
で、20分程で一通り見終わり…。
って思っていたら…
何?この看板…?
はぁ?
ここ…実際にヒグマが出る可能性もある?
今、ここにいるのは私とダンナの2人だけ…。
怖くなり、この地をそそくさと退散しました!
「三毛別羆事件」についてはネットで記事として多く取り上げられ、またテレビや映画でも再現されています。
これらのメディアでは何故ヒグマが開拓民を襲ったかも色々と考察されているので、熊の行動や習性について興味のある方は上記の記事をキッカケとして調べてみるのも一つの勉強になるかもしれませんね。
以上、簡潔ですが「三毛別羆事件復元地」を訪れた時の思い出です。